すみだ経済新聞では、「ひと つながる 墨田区」を象徴する企画として「すみだ活性化のキーパーソンが語る墨田と私」と題し、墨田区で活躍する各界の皆様をゲストに迎え、リレー方式で話をお聞きしていきます。
第3回目のゲストは菊池和貴さん
墨田区や東京の下町7区を中心に、地域コミュニティサイトを運営するほか、「すみだ100人カイギ」や「すみだまちゼミ」の実行委員として地域活動を支えるキーパーソンの菊池さん。住民や事業者をつなぎ、新たな交流や学びの場を創出することで、地域の魅力発信と活性化に取り組んでいます。多様な人々の意見やアイデアを取り入れながら、地域の課題解決や文化醸成に貢献する、墨田区の地域コミュニティを牽引する存在です。
トピック1: 時計をしない生活と時間管理の哲学
すみだ経済新聞:菊池さんは時計をしないと伺いましたが、それにはどんな理由があるのでしょうか?
菊池さん:腕時計をつけていると、どうしても気になりますよね。自分が時間を気にしていると、話している相手も気にしてしまうんです。だから時計はつけないことにしました。それに、息子を抱っこする時に邪魔になるとか、いろいろ考えたら「時計いらないな」と思ったんです。それで、子どもが生まれてから、もう6年くらい時計はしていないですね。
すみだ経済新聞:確かに時計を外すと時間に縛られなくなりそうですね。たくさんの仕事をされている中で、どうやってスケジュールを管理しているのですか?
菊池さん:その時その時の流れに合わせて、「今これをやろう」「次はあれをやろう」という感じで動いています。ひたすら動き続けるというよりは、優先順位をつけて回していくイメージですね。睡眠も削りすぎず、自分のリズムを大切にしています。
すみだ経済新聞:健康的な生活を維持しながら、忙しい日々を過ごしている印象です。睡眠時間はどのように確保していますか?
菊池さん:基本的には、「2時から3時まで寝ればいい」といった基準を自分の中で決めています。5時間しか寝られないと思う人もいますが、自分は「5時間も寝られれば十分」と考えるタイプです。眠くなったタイミングで寝るスタイルなので、早く寝たいときは早く寝ますし、夜遅くまで活動することもあります。
すみだ経済新聞:朝の起床時間はどうですか?
菊池さん:朝はそれほど早くないですね。息子が小学校に行く前に起きるので、大体7時から8時の間に起きます。でも目覚ましは基本的にセットしません。セットするのは重要なイベントがあるときだけで、それ以外は息子の声で起きています。
すみだ経済新聞:時計に縛られない生活は、菊池さんの個性がよく表れている気がします。
菊池さん:ありがとうございます。変人中の変人を目指しているところもあるので、人と同じことをするのが嫌なんですよ。本当に眠いときは寝ますし、眠くないときは寝なくていいというスタイルです。
トピック2: ハワイ旅行の最終日から学ぶ「今日を生きる」哲学
すみだ経済新聞:菊池さんは「今日を特別な一日として生きる」という考えを持っているそうですが、その背景について教えていただけますか?
菊池さん:きっかけは「毎日をハワイ旅行の最終日だと思って生きる」という考え方ですね。ハワイ旅行の最終日って、寝るのがもったいないじゃないですか。夜にテレビを見る代わりに、バルコニーに出たり、海辺を散歩したり、興味のないお店に入ってみたり、写真を撮ったりしますよね。すべてが特別で楽しいからこそ、寝る時間を惜しむ。それを毎日続けている感覚です。
菊池さん:実は、20歳になるまでに中学校の友達を7人亡くしているんです。バイク事故や転落事故など、突然の出来事ばかりでした。それが自分にとって大きなショックで、「自分は生き残った側なんだ」と強く意識するようになりました。だからこそ、友達の分まで「意味ある人生を送りたい」と思うようになったんです。
すみだ経済新聞:それはとても大きな経験ですね。その考え方が、現在のライフスタイルにどう影響を与えていますか?
菊池さん:やっぱり「無駄を省く」というところです。時間は有限なので、やりたいことを最優先する。だからこそ、自分が興味を持ったことや大切だと感じたことに全力を注ぐようになりました。それが仕事であっても趣味であっても同じですね。
すみだ経済新聞:毎日をハワイ旅行の最終日だと思って生きるという考え方は、今の仕事や家庭生活にも活きているんですね。
菊池さん:はい、特に子どもと過ごす時間も同じです。子どもの成長ってあっという間なので、1日1日を大事にしないといけない。だから、息子との時間も「特別な1日」だと思いながら過ごしています。
トピック3: 若い頃のやんちゃな生活とその影響
すみだ経済新聞:菊池さんの若い頃のお話を少し聞かせてください。どんな学生生活を送られていたのでしょうか?
菊池さん:正直、やんちゃでしたね(笑)。学校にもあまり行かなかったです。うちの学年は特に問題が多くて、専用のクラスが設けられていました。そのクラスにはテレビ、灰皿、卓球台があって、まるで娯楽施設みたいな感じでしたね。ちなみにドラマ『金八先生』の隣の学校がうちの中学校でした。
すみだ経済新聞:金八先生の撮影が行われた堀切の足立二中ですよね?
菊池さん:そうです。うちはそのすぐ近く、鐘ヶ淵にある学校でした。現在はもうなくなってしまいましたけどね。
すみだ経済新聞:鐘ヶ淵ご出身なんですね。ちなみに、同級生には有名な方はいらっしゃいましたか?
菊池さん:はい、巨人にいた高橋尚成が同じ中学校でした。同じ中学出身の人が活躍している姿を見て、頑張っているのは嬉しいですね。
すみだ経済新聞:やんちゃな学生時代を送られたとのことですが、ご家庭ではどのように育てられていたのでしょう?
菊池さん:うちの両親は公務員でした。父は国家公務員で、その後地方民営化された社会保険事務所の職員をしていました。だから、親からは「捕まるな」とずっと言われて育ちました。補導されるのは仕方ないけど、捕まったら親の仕事に影響が出ると(笑)。その影響で、万引きや窃盗のような犯罪行為は一切しませんでしたね。
すみだ経済新聞:かなり厳しくしつけられていた印象を受けますが、その環境が後々の人生に影響を与えた部分もありますか?
菊池さん:そうですね。親が公務員だったことで、責任感やルールを守る大切さは自然と身についたと思います。ただ、その反面、反発心も強くて、自分のやりたいことを追求する性格になりました。
トピック4: 友人の死が与えた人生観の変化
すみだ経済新聞:菊池さんは、20歳までに多くの友人を亡くされたと伺いました。その経験についてお聞かせいただけますか?
菊池さん:はい、中学校時代の友人を7人亡くしました。ほとんどがバイク事故や転落事故など、突然の出来事でした。例えば、警察に追われて逃げている最中に転落したり、パトカーと衝突したりするケースもありました。自ら命を絶った人はいませんでしたが、それでもやはりショックは大きかったです。
すみだ経済新聞:それだけの数の友人を失うのは、相当な影響があったと思います。そのとき、どのような気持ちになりましたか?
菊池さん:成人式で一緒だった友人が、その後すぐに亡くなったときは特にショックでした。「なんで自分は生き残っているんだろう」という思いが強くなりましたね。それがきっかけで、「自分は友人たちの分も生きなければならない」と考えるようになりました。「5倍生きよう」「7倍生きよう」と思うようになり、それが自分の生き方を変える大きな転機になりました。
すみだ経済新聞:その経験が、現在の菊池さんの考え方やライフスタイルにどのように影響を与えていますか?
菊池さん:時間を大切にするという意識が強くなりました。1日を24時間と考えたときに、その時間を無駄にしたくないと思うようになったんです。仕事でもプライベートでも、意味のあることに時間を使いたいというのが基本的なスタンスですね。
すみだ経済新聞:その考え方が、仕事や家庭での行動にも反映されているんですね。
菊池さん:そうですね。友人の死を経験したことで、毎日を無駄にせず、一つひとつの瞬間を大切に生きるようになりました。それが今の仕事や家庭生活にも活きていると思います。
インタビュー:長尾 円
撮影:宮脇 恒
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