特集

すみだ経済新聞インタビュー
「すみだ活性化のキーパーソンが語る墨田と私」
山口亮さん(前編)

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すみだ経済新聞では、「ひと つながる 墨田区」を象徴する企画として「すみだ活性化のキーパーソンが語る墨田と私」と題し、墨田区で活躍する各界の皆様をゲストに迎え、リレー方式で話をお聞きしていきます。

第2回目のゲストは山口亮(まこと)さん
自宅を開放して地域コミュニティ拠点「よりみち自由室」を開設。「墨田区100人カイギ」や「墨田区まち活カイギ」を立ち上げるなど、墨田区の地域活動の中心にいる山口さん。「活動の背景や原点」「よりみち自由室」「墨田区100人カイギ」「墨田区の魅力と課題」などのテーマでお話をお聞きしました。

【テーマ1:活動の背景や原点について教えてください】

山口さんは「墨田区100人カイギ」や「墨田区まち活カイギ」の立ち上げや、自宅を「よりみち自由室」として解放するなど、墨田区でさまざまな活動をされています。その活動の背景や原点についてお聞かせいただけますでしょうか

学校は専門学校を卒業して就職はせず、ぶらぶらしていたところ「野村総研でマルチメディアレポートを書く仕事があるからやらない?」と声がかかって、派遣社員みたいな形で仕事を始めました。

そんな中、1995年頃、インターネットが日本で使われ始める時代に、WEBを活用した大きなプロジェクトが立ち上がって。まだ誰もホームページを作れなかったので、「じゃあ作りましょうか」とウェブページの制作を始めました。野村総研の仕事をずっとやっていたんですけど、半年ぐらいで慶応大生など学生アルバイトが増えてきたので、会社を作ってそれからインターネット関係の仕事をいろいろやってきました。

そんな感じでインターネットの仕事で、ITバブルの頃にはお金をたくさんいただいたり、新しい会社をいくつも作ったりしたんですけど、ちゃんと経営の勉強をしたりしてなかったので、あまりうまくいきませんでした。結局、人を雇うのをやめてフリーランスという形で仕事を始めたら結構生活が楽になり、あまり働かなくてもよくなり、ほとんど何も仕事しない時期が10年ぐらいありました。

その間、ネットオンラインゲームをやったり毎日海外ドラマを見ていたり、映画館に行ったりとか、そういう生活をしているうちにもう社会復帰ができなくなり、お仕事できない体質になりました(笑)

今は一応、週に10時間だけ、ある法律事務所で働いています。以前はある会社から定期的な収入がずっとあったのであまり働かなくて良かったんですけど、それがだんだん減っていき、最終的にあと1年で契約切れますみたいな形になったので、たまたま縁があって週2日だけそこで働いている。週に10時間だけそういった収入のための仕事をしていて、それ以外の時間はぶらぶらしているというかそんな感じですね。

―ものすごく自由です。キーワードは自由な方ですね

そうなんですよね(笑)

今の若者が目指す、仕事や会社に縛られない働き方の先駆者ですね

でも、今も結構カツカツですけどね。カツカツだけど、でもその分仕事を増やすよりは貧乏暮らしを楽しむみたいな、そんな感じできていますね。

―墨田区には引っ越しされて2年

ちょうど2年ですね。

―それ以前はどの辺りにいらっしゃったんですか?

元々、実家が江戸川区の葛西の方だったので、会社も葛西でやっていました。ただいろいろとなんだろう、彼女の家に転がり込んで10年間同棲していたり、あとは戻ってきてまた葛西にしばらく住んだりもしていました。その後にシェアハウスに入り、また彼女の家に転がり込むみたいな感じで。割とそうですね、いろいろと転々としていましたけど、でも葛西が一番長いです。

―なぜ墨田区に

そんなに意味はなくて、元々「住み開き」という自分が住んでいるところをスペース的に使いたいというのがあって、コロナ前からそれを考えていたんです。前は渋谷あたりでそういうのを立ち上げようと思って、いろいろ物件を見たりしました。お金が貯まって、「そろそろかな」と思ったらコロナになってしまって。「このタイミングで始めたら絶対失敗するな」と思い、2年ぐらい身を潜めている間に、渋谷の街が変わって行きづらくなったんですよね。

なので「あまり渋谷にこだわる必要がなくなったな」と思って、メトロ圏内でいろいろ探しました。結構、東京の西側、中野坂上や大塚も見ました。こちら側だと、浅草とか谷根千、三ノ輪とかいろんなところを見て回った中で、この家が「住み開き」をするのにちょうど良かったっていうのがありました。

あと僕、コロナ前に墨田区の向島や曳舟の駅周辺で活動する計画を仲間と進めていて、こちら側に知り合いも何人かいたので、そういう部分でも住みやすいかなと思って。

そんなにこの墨田区とか押上にこだわって引っ越ししてきたわけではなく、偶然の結果って感じですね。

―実際に住んでみてどうですか?

思った以上に居心地がいいですね。墨田区って、そんなに活動が盛んなイメージを全く持っていなかったんですけども。来てみたらすごい市民活動が盛んなところで、いろんな人たちがいろんな活動をやっている。毎日何かイベントがあったりどこかで人と会えたりするので、割と楽しく過ごしています。

―先ほどから出てくる「住み開き」という言葉は、山口さんが作った言葉なんですか?

いや、それアサダワタルさんという人が昔、本を出したんですけど、そこで広がった概念ですね。アサダさんが作った造語だと思いますけど。

意外と僕の周りは、そういう活動している人が多いんです。なので、「住み開き」は割と僕にとっては身近だったかな。ただ他の人に言うと、「なんですかそれ?」ってなりますけど。

今は昔と比べて人を家に呼びたがらないというかですね、遊びに行くのにいちいち事前に約束をしないといけないとかね、そういう感じになっちゃっているので、もっと気楽に利用できるといいかなと思っています。

―ここは基本的に約束がなくても、「開いているよ」っていうのがわかったら誰でも来られるんですか?

そうですね、基本別に予約とかを取ってないのでいつでも来られます。ボードゲームも500ぐらいありますから、いつでも遊びに来てください(笑)


【テーマ2:よりみち自由室について教えてください】

―続いて現在の活動についていろいろお聞きしていきます。まず、地域のコミュニケーションスペース「よりみち自由室」。こちら開設するきっかけや背景みたいなものがあれば教えていただけますか

さっきお話したように、元々、単純に自分が住んでいるところで活動したいっていうのがありました。ワークショップデザインを2016年ぐらいからやっていて、自分の固定のスペースが欲しいなっていうのがあったんですけど、自分の家と別にスペースを維持するのは、お金もかかるし大変そうだなと。面倒なことはやりたくなかったんですよね。

ただその頃は、いつでも好きなときにイベントができる自分のイベントスペース的な感じで考えていて。定期的に使ってくれる人を募集して、レンタルスペース的に使ってという考えでした。

ワークショップは自分のやりたいことができている感じがありました。ただワークショップって単発の学びで終わっちゃうことが多いので、もう少し継続的な関係性を作ってくれることをやりたいなと思って、コミュニティ作りに関心を持つようになりました。

それから結構、地域コミュニティの活動をいろいろやりましたね。ただ自分の住んでいるところでというよりは、港区とか世田谷区とか比較的その活動がしやすい場所に行って活動していました。以前は自分が住んでいる場所では、なかなかそういう活動ができていないっていう感じがあったので。

それが変わったのは、コロナに入る頃ぐらいからですかね。「自分が住んでいる場所で活動したいな」という気持ちが強くなって。コロナ中にいろいろまた心境の変化もあったと思うんですけど、始めようかってなったときには、「そこを地域コミュニティの中心にしていきたいな」っていう感じでは考えていましたね。

―実際、何か影響を受けたことはありましたか?先ほどのアサダワタルさんとか

実は僕、その本自体は読んでないんですよ(笑)周りでも普通に「住み開き」をしている人が結構いたので、あんまりそこは気にしたことなかったですね。

―ご自身の周りの人が当たり前のようにやっていることだったから、自分でもやろうと思われた?

それもありますね。あともう一つ開設するときに考えていたのは「中高生の居場所」にしたいなと思っていました。6年半ぐらい前から神奈川県の県立高校で居場所作りに関わっていたたのも理由です。

―どの辺りにある学校ですか?

横浜の青葉台です。周辺はいわゆる高級住宅地みたいなエリアらしいんですけど、その高校は「クリエイティブスクール」といって、学力試験のない学校です。そのため、家庭の経済事情や様々な課題を抱える生徒が集まってきています。

今、教育格差って言われていますよね。やっぱり生活環境から生まれる教育格差の問題って、すごくあるなと思うんですけど、特に気になるのは勉強の仕方を知らない子たちです。勉強の仕方を知らない子は、卒業した後の方が大変というか、差が広がるだろうなと思うんですよね。

効率的に学ぶことを知っている子は、新しいことをどんどん吸収していけます。例えば資格を取るとか、いろんな新しいことにチャレンジすることができると思うんですけど、それを知らない子たちは卒業した後の方が大変だろうなと。だから、そういう一人一人が誰かから教わるのではなくて、自律的に次に自ら進んで学びを見いだせる場があった方がいいし、それを作りたいなと思っています。

墨田区でも、最近は不登校児の親の会とかができてきました。でも墨田区全体で見るとそういう人たちのサポートはすごく少ないので、そういう居場所作りはこれからしていきたいなと思います。

今は中高生はほとんど来てなくて、おじさんおばさんのたまり場になっていますけどね(笑)

―私も中学の子どもがいまして、いろいろと実際に現在進行形で体験している人間としては、居場所づくりは大変共感します

高校生くらいになると活動範囲も広がりますけど、小学生ぐらいって小3や小4でも親が送り迎えしないと習い事に行けないみたいな子たちが結構いるわけですよね。僕の時代なんて、本当に小学校に入るぐらい前からでも1人で自転車乗ってどこでも行っていたので、今は大変だなと思っちゃうけども。

今って子どもの活動範囲がめちゃくちゃ狭いと思います。墨田区も幾つかそういう子どものための居場所はあるんだけども、隙間だらけなんですよね。大きい施設を作るよりも、このぐらいのコミュニティスペースをたくさん作った方がいいのかなっていうのを最近は感じています。

―今後、こういうことをやりたい思っていることはありますか?

僕はさっき言ったように、やっぱり中高生の居場所にしていきたいっていうのがあります。ただ中学生は一番リーチしづらい世代なんですよね。親との関係もそこまで良くないしね。みんな友達だけの狭い世界で生きちゃっている。

具体的には、一つはオンラインでもちょっとつながりを作っていこうかなっていうのもあるし、あとは小学生ぐらいから育てていくとかもあるかな。いろんな方法で、5年、10年ぐらいの長いスパンの中で、中高生が自主的に学べる場になれたらいいかなと思っています。

―イベントなどで情報発信はされているんですか?

個人的にはこうやって話しますけど、あまり積極的に発信はしてませんね。

―せっかくの機会ですので何か伝えたいこととかありませんか?

ここ(よりみち自由室)をいつでも誰かがいる場所にしたいので、お留守番係をこれからどんどん増やしていきたいと思っています。漫画もゲームもたくさんあるので、ここで自由に過ごしながら、誰か来たら交流してもらうみたいな、そういう感じになるといいかなと。

―ここを開設してからの何か印象的だったエピソードとか、思い出に残っているようなことはありますか?

ここを開いて最初の3日間お披露目会やった時も、3日間で70人~80人は来てくれました。その時は、墨田区の地域の人というよりは、僕の元々の知り合いの人たちが電車に乗って遊びに来てくれましたね。そこから1年、2年とやって、先日に来てくれた人たちは、6割~7割は墨田区の人です。やっぱりセミナーなんかで、人との関係がどんどんできてきているのはありますね。

―LINEグループ内では結構いろんな企画が進んでいますね

最近だと、ここに帰ってきたら、みんなが集まってサークル的な活動をしているみたいなことがよくあります。

あまりイベント的にしたくはなくて、みんなが勝手に使ってくれるスペースにしたいんですよね。最近は、僕が知らない間にどんどん話が進んで、「今度ここで焼肉やることになりました」みたいになっているので、イメージ通りといえばイメージ通りです(笑)

僕はそこら辺、全く気にならない性格なので、知らないうちにみんなが勝手にここで何かやってくれるのはありがたいですね。

ごはん会とかもやっていますけど、みんなで1つのテーブルを囲む感じじゃなくて、色々なテーブルがあって、自分に合うテーブルを見つけられたら良いかなと思っていて。1階では喋りたい人が集まって、2階はボードゲームしてる、みたいなことは今でも普通に起きていますね。

―今後やりたいことは中高生の居場所を作っていくっていうのがメインですね

そうですね、いろんな人が住み分けられるのが一番いいかなと思っています。昼間は昼間で、不登校の子だったり近所のおばあちゃんだったりがいるだろうから、いつも誰かが入れ代わり立ち代り、ここに来ているのがいいかなと。

必要な人が、気が向いた時ふらっと来る場所でいいと思うんですよね。もう既に場所があって何も困ってない人は別にここに来る必要はないと思うし、何か求めている人は自由に立ち寄って、自分のやりやすいようにしてもらったらと思います。

―ここがきっかけで交流が始まるっていうケースは多いのですか?

ここきっかけは多いと思います。Facebookの写真を見たら、「なんでこのメンバーで集まっているんだろう?」みたいなことはありますよね。僕は「100人カイギ」とかいろいろやっているんで、いろんな場が混ざり合っているので、もはやどこでつながっているのか分からなかったりもします。

―そこに自分が居ようといまいと、きっかけになってくれたら良いということですね。

はい、そうですね。最近、墨田でドローンを飛ばす人が増えていますけど、元々は浅草に住んでいる橋本ピッツァっていう人がきっかけです。最初、僕はオンラインで知り合って、「うちでできるからやろうよ」って誘って、うちでドローンを飛ばす会をやったんですよ。そしたら、そこに来たメンバーがまた「うちでもできる」「ここでもできるよ」って言って、どんどん南側に移動していますね。そのうち墨田全域でそういうことになるかもしれない。

そうやって、僕の知らないとこで勝手に動いているのが僕的にはちょうどいいかな。


インタビュー:長尾 円
撮影:宮脇 恒


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