墨田区のイベント会場や取材現場で、「みやちゃん」と呼ばれる人物がいる。
「すみだ経済新聞」編集長の宮脇恒さんだ。

2023年8月に編集長に就任し、低迷していた同メディアを月間100万PV超の地域メディアへ成長させた宮脇さん。しかし、その原点は墨田ではなく、1990年代の香港にあった。
アジア各地の化粧品を紹介したカタログ企画、「アジアンビューティー」という概念の創出、そして現在の「まちを編集する」につながる編集者としての原体験。前編では、そのルーツを聞いた。
「まちを編集する」とは、人をつなぎ、魅力を発掘すること
すみだ経済新聞:
宮脇さんはよく「まちを編集する」という言葉を使います。改めて、どういう意味なのでしょうか。
宮脇恒さん:
弊社(株式会社シャノワ)では、地域メディアの役割を、「人をつなぎ、魅力を発掘し、まちを編集すること」だと考えています。
すみだ経済新聞:
「まちを編集する」とは?
宮脇恒さん:
地域には小さな熱量がたくさんあるんです。イベントでも、お店でも、人でもいい。まだ知られていない面白いものや、人の想いを見つけて、人につないで、行動につなげていく。僕はそれを「まちを編集する」と呼んでいます。
すみだ経済新聞:
編集という言葉を使うんですね。
宮脇恒さん:
ニュースを書く感覚とは少し違うんです。
見つける、磨く、伝える。
発見して、編集して、発信する。
実は今やっていることって、昔から変わっていないんですよ。
フェリシモ香港時代に始まった「価値を届ける仕事」
すみだ経済新聞:
原点は香港だったそうですね。
宮脇恒さん:
そうですね。1992年から1999年までフェリシモ香港にいました。
当時の香港はまだイギリス統治時代から1997年の香港返還前後にかけての時代でした。
東洋と西洋が交わる場所で、街全体に活気があった。アジア中のモノや人、文化が集まっていて、日本人も5万人以上暮らしていました。
「これからアジアの時代が来る」と感じるような、すごくワクワクする時代でしたね。

すみだ経済新聞:
香港へ行くきっかけはご家族だったそうですね。
宮脇恒さん:
母方の祖父、矢崎又次郎がフェリシモの創業者で、創業当時は「ハイセンス」という名前でした。
両親が香港支社長として赴任することになって、兄の宮脇繁も加わっていた。僕自身も、その背中を追いかけるように香港へ飛び込みました。

すみだ経済新聞:
香港でのミッションはどんなものだったのでしょうか。
宮脇恒さん:
大きく三つありました。
一つ目が、アジアの価値を日本にダイレクトに伝えること。
二つ目が、香港市場を開拓すること。
三つ目が、広東省など中国を生産拠点として活用することです。
その中で、僕が主に関わっていたのが「アジアの価値を日本へ届ける」という部分でした。
すみだ経済新聞:
具体的には?
宮脇恒さん:
アジアの価値を「美」として定義したんです。
中国の真珠クリーム、インドのアーユルヴェーダ、インドネシアのジャムゥ、漢方など、アジア各地にある美容文化や化粧品を、香港から個人輸入という形で日本へ直接届けるダイレクトマーケティングとして展開しました。
今では当たり前ですけど、当時はまだインターネットもありませんでした。
情報そのものが価値だった時代です。
すみだ経済新聞:
その時に「アジアンビューティー」という概念が生まれる。
宮脇恒さん:
そうです。
兄と一緒に考えた言葉ですね。
今では普通に使われていますけど、当時はまだそういう概念自体がなかった。
中国だけでもない、日本だけでもない、「アジアの美容文化」を一つの世界観として届けたいと思ったんです。
東洋美容を一つの価値として見せるために生まれた言葉でした。


すみだ経済新聞:
宮脇さん自身の役割は?
宮脇恒さん:
カタログを作るだけじゃなかったんです。
アジア中を回って美容商品の開拓をしたり、商品開発をしたり。
何を見つけて、どう見せて、どう伝えるか。
まさに編集作業でした。
今思えば、今やっていることに通じる部分もすごく多かったですね。
「化粧品」が「まち」になった
すみだ経済新聞:
当時と今のすみだ経済新聞はつながっていますか。
宮脇恒さん:
当時から面白いものを見つけるのが好きだったんですよ。
まだ知られていないものを見つけて、文章を書いて、世の中に紹介する。そして反応を見る。
今思えば、その頃からずっと同じことをやっているのかもしれません。
違うのは、昔は化粧品だったものが、今は「まち」になったということですね。
すみだ経済新聞:
対象が変わっただけで、本質は変わっていない。
宮脇恒さん:
そうですね。
人でも、お店でも、イベントでもそうですけど、「まだ知られていない面白いもの」を見つけて届けるという部分は変わっていないと思います。
香港で編集者としての原点を築き、「アジアンビューティー」という概念を生み出し、「紗の和」という思想からシャノワを立ち上げた宮脇さん。
しかし、その後の歩みは決して平坦なものではなかった。
次回中編では、独立後の挑戦、数々の挫折、そして住吉から始まる墨田区との出会いについて聞く。
(取材・構成:森下八尋 / 監修:宮脇恒)
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