地域の記憶を語り継ぐ 震災と戦災を経験したまちで
前編では、立川三丁目の盆踊り再生や子ども太鼓の取り組みについて聞いた。
中編では、久保田さんが生まれ育った立川の歴史や、代々受け継がれてきた地域の記憶について話を聞いた。

すみだ経済新聞:
久保田さんは立川で代々暮らしていると聞いています。
久保田健一さん:
そうですね。
江戸時代からこの場所に住んでいます。
私で5代目です。
すみだ経済新聞:
どのような家業だったのでしょうか。
久保田健一さん:
相撲のお茶屋と建材屋を営んでいたと聞いています。
江戸でも有数の規模だったそうです。

すみだ経済新聞:
当時の立川はどんな場所だったのでしょうか。
久保田健一さん:
家の裏には今も竪川があります。
当時は川や運河が物流の中心でした。
船で荷物が運ばれ、人や物が集まる場所だったそうです。

すみだ経済新聞:
地域の歴史はご家族から聞いてきたのでしょうか。
久保田健一さん:
祖父からよく聞きました。
うちは関東大震災で一度焼けています。
その後に再建したんですが、今度は東京大空襲でまた焼けました。

すみだ経済新聞:
二度の焼失を経験している。
久保田健一さん:
そうです。
関東大震災が1923年9月で、東京大空襲が1945年3月です。
その間はわずか21年半しかありません。
祖父はその両方を経験しています。
その絶望感や喪失感というのは、私たちには想像もできないと思います。
すみだ経済新聞:
お祖父さまからは空襲当時の話も聞いていたのでしょうか。
久保田健一さん:
聞いていました。
空襲の時、祖父たちは菊川小学校へ避難したそうです。
ただ、そこで運命が分かれた。
祖父は風向きを見て移動したと聞いています。
すみだ経済新聞:
風向きを見て。
久保田健一さん:
ええ。
関東大震災もそうですが、この地域は火との戦いだったんです。
祖父はその経験から風を見て動いたんだと思います。
その判断が生死を分けたと聞いています。
すみだ経済新聞:
東京大空襲についてはどのように受け止めていますか。
久保田健一さん:
関東大震災で焼けた地域と、東京大空襲で焼けた地域はほぼ重なっているんです。
米軍は関東大震災の火災や気象条件を研究していたともいわれています。
本所地区は東京大空襲で最も大きな被害を受けた地域の一つでした。
すみだ経済新聞:
大きな被害だったと聞いています。
久保田健一さん:
ええ。
まちごとほぼ全滅しましたからね。
家だけじゃなく、地域の記憶ごと焼き尽くされたようなものだと思います。
すみだ経済新聞:
ちなみにどのくらいの世帯が残ったんでしょうか。
久保田健一さん:
関東大震災と東京大空襲、その二つをくぐり抜けた世帯は、この辺りでは20世帯もなかったと聞いています。
すみだ経済新聞:
わずか20世帯ですか。
久保田健一さん:
そうです。
だから今こうして話せること自体が貴重なんですよね。
昔を知る人も少なくなっていますから。
すみだ経済新聞:
久保田さん自身も地域の歴史を伝える立場になっています。
久保田健一さん:
そうかもしれませんね。
祖父から聞いた話も、私が話さなくなったらそこで終わってしまう。
だから機会があれば話すようにしています。
すみだ経済新聞:
地域活動にもつながっているのでしょうか。
久保田健一さん:
つながっています。
祭りもそうですが、地域の歴史や記憶を次の世代へ渡していくことも大事だと思っています。

すみだ経済新聞:
前編では「20年後の青年部員を育てたいなら、今の子どもを楽しませた方が早い」と話していました。
久保田健一さん:
子どもたちには楽しい思い出を作ってほしいと思っています。
でも、その場所にどんな歴史があったのかも知ってほしい。
そういう積み重ねが地域への愛着になるんじゃないかと思います。
すみだ経済新聞:
後編では、子どもたちにさまざまな体験を提供する「あそび部」や銚子との交流について伺います。