八広の未来を次世代へ

「笑い」と「多幸」の街をつくる
2026年、八広は町名誕生60周年を迎える。
本多信悟さんが目指したのは、一部の人たちだけで祝う記念行事ではなかった。八広地区16町会全てが参加し、学校や地域団体、企業が力を合わせ、子どもから高齢者までが一緒に八広の未来を考える機会をつくることだった。
しかし、16町会が一つになるまでの道のりは平坦ではなかった。
本多さんに、全町会の参加にこだわった理由、888人のちょうちん行列に込めた思い、そして「笑いの街」「多幸の街」という八広の未来像について聞いた。

すみだ経済新聞:
八広駅誕生30周年のから、町の60周年へと発想が広がったきっかけを教えてください。
本多信悟さん:
八広駅30周年のイベントには、本当に多くの方が来てくれました。町会や学校、京成電鉄さんをはじめ、たくさんの方に協力していただきました。
イベントが終わってから、八広という町が誕生して60周年になることに気付きました。八広という名前は、もともと8つの町が一つになってできた町名です。それなら、町の60周年もみんなで祝おうと。
ただ、60周年のタイミングよりも、令和8年8月8日の方が八広らしい。この日を八広のイベントの日にして、毎年続けていきたいですね。
すみだ経済新聞:
8月8日のイベント「八広八・八祭り」に向けては、何から始めましたか。
本多信悟さん:
八広地区には16の町会があります。やるなら16町会全てに参加してもらいたいなと。
一部の町会だけではなく、みんなで60周年を祝うことに意味があるからです。そこにはこだわりました。
すみだ経済新聞:
16町会を回る中で、難しかったことはありましたか。
本多信悟さん:
最初から全ての町会が賛成だったわけではありません。最後まで迷っていた町会もありました。
だから、一人ずつ会って話をしました。電話では伝わらないこともありますから。駅名変更のときも、同じように回りました。
すみだ経済新聞:
イベントに対して何か意見はありましたか。
本多信悟さん:
今回、888人でちょうちんを持って歩く計画を立てました。
ところが、ある町会長さんから、「ちょうちん行列」には戦争中イメージを連想させるという意見がありました。戦時中、出征する兵隊さんを、ちょうちんを持って送り出した。そのイメージがあるため、ちょうちん行列はどうかと言う話でした。

すみだ経済新聞:
その意見に対して、どう向き合いましたか。
本多信悟さん:
888人でちょうちんを持って歩く計画でしたが、「ちょうちん行列」という言葉には戦争中のイメージがある、というご意見をいただきました。
その話を聞いて、今回は戦争へ送り出す灯りではなく、平和を願う灯りとして歩きたい、とお伝えしました。世界では今も戦争が続いています。戦争で亡くなった方への鎮魂と、平和への願いを込めて歩くことを何度も説明して、最後はご理解いただきました。
すみだ経済新聞:
全ての町会の参加が決まった時は、どのような気持ちでしたか。
本多信悟さん:
うれしかったですね。
16町会がそろって一緒にやるのは、なかなかありません。だから、全ての町会が参加すると決まった時は、本当にうれしかったです。
この60周年をきっかけに、町会同士のつながりが今まで以上にできたらいいですね。

すみだ経済新聞:
ちょうちん行列を888人とした理由を教えてください。
本多信悟さん:
令和8年8月8日です。8が並びます(笑)。八広の「八」でもあります。
それで888人です。分かりやすいでしょう(笑)。
子どもたちにも参加してもらい、みんなでちょうちんを持って歩きます。子どもたちが大人になった時に、「自分もあの時、ちょうちんを持って歩いた」と思い出してくれたらうれしいです。
実はもうひとつあります。
8月8日にこめる思いを形にしたいと、8月8日を八方末広「八広の日」として日本記念日協会に登録しました。「八」の文字に由来する町名と末広がりの縁起の良さを生かし、地域全体で節目を祝う取り組みとして準備を進めています。
7月の隅田川花火大会と同様に、8月8日のが恒例行事になってくれると良いなと思いますね。

すみだ経済新聞:
今回、子どもたちは、どのような形で参加しますか。
また、子どもたちに残したいものは何でしょう。
本多信悟さん:
学校にも協力していただき、子どもたちはちょうちん作りにも参加しています。
地域の行事は、大人だけでやっても駄目だと思います。子どもたちは、いつか八広を離れるかもしれません。
それでも大人になった時に、「八広でこんなことをやったな」と思い出せる。そういう記憶を残してあげたいと思います。
今の子どもたちは、自分たちが住んでいる街が、どのようにできたのかを知る機会が少ないと思います。八広という名前がどのように生まれたのか。この地域にどんな歴史があるのか。
昔のことを知っている人が元気なうちに、次の世代へ伝えておかなければいけません。八広駅の30周年をやった時にも、それを強く感じました。
すみだ経済新聞:
歴史を伝える一方で、これからの八広の未来についてはいかがですか?
本多信悟さん:
「笑いの街」にしたいですね。「ははは」です(笑)。
8月8日で「はは」。
令和8年も入れれば「ははは」になります(笑)。
家庭でも、学校でも、会社でも、地域でも、みんなが笑える街になったらいい。八広をそんな街にしたいですね。
すみだ経済新聞:
今回のイベントでお目見えするアートにも、本多さんが描く八広の未来像が重なっていますね。
本多信悟さん:
タコです(笑)。
タコは「多幸」と書けば、多くの幸せになります。八広を、たくさんの幸せがある街にしたいですね。
今回もタコをテーマにしたアートの取り組みがあります。子どもから高齢者まで参加して、笑いがあって、多くの幸せがある。そんなまちになればいいですね。
すみだ経済新聞:
本多さんの歩みを振り返ると、多くの人との出会いが転機になっています。
本多信悟さん:
振り返れば、本当にいろいろな方に助けていただきました。
相続の問題で大変な時もそうでした。駅名変更も、一人では何もできませんでした。八広駅30周年も、今回の60周年も同じです。
人と人とのご縁がつながって、初めてできることがあります。ご縁は大切にしたいと思います。

すみだ経済新聞:
77歳を迎えられる今、これからの時間をどのように考えていますか。
※インタビューは7月1日に実施。
本多信悟さん:
元気なうちに、できることをやっておきたいですね。
八広駅の歴史も、八広の町名60周年もそうです。公津の杜とのご縁も、これからつないでいきたい。
私がいなくなったら終わりでは駄目です。子どもたちや次の世代が引き継いでくれたらうれしいですね。
すみだ経済新聞:
本多さんが次の世代へ残したい八広とは、どのような街でしょうか。
本多信悟さん:
みんながつながっている街かな。
笑いがあって、多くの幸せがある。そして、何かあった時には助け合える。
子どもたちが大人になった時に、「八広で育って良かった」と思ってもらえたら一番うれしいですね。
27歳で本多家に入り、政治家になる夢を断念した本多さん。
40歳を前に、巨額の相続税と親族との争いに直面した。家族を連れて逃げることさえ考えながらも、本多家を守ることを選んだ。
自分と家族を守るために継いだ不動産事業は、地域の暮らしと命を守るまちづくりへと広がった。そして今、本多さんは16町会をつなぎ、888人のちょうちんに平和への願いを込め、子どもたちの記憶に残る60周年をつくろうとしている。
「ははは」と笑う街。多くの幸せがある「多幸」の街。
危機を乗り越えるため、自分と家族を守ることから始まった本多さんの歩みは、人との縁を重ねながら、地域と次の世代の未来へと広がってきた。
危機を乗り越え、私益を公益へ変えてきた人生。
本多さんが次の世代へ手渡そうとしているのは、八広という町への誇りと、人と人がつながることで生まれる力なのかもしれない。

(取材・構成:森下八尋/監修:宮脇恒)
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