人のつながりを次へ 澁谷哲一さんが語る墨田と継承
すみだ活性化のキーパーソンが語る「墨田と私」 澁谷哲一さん(続編)
東京東信用金庫 特別顧問/墨田区文化振興財団 理事長/墨田区スポーツ協会 会長

2025年4月のインタビューで、自身の役割を「橋渡し」と語った澁谷哲一さん。東京東信用金庫特別顧問、墨田区文化振興財団理事長、墨田区スポーツ協会会長として、今も地域の人々や企業と関わり続けている。今回は、文化施設の運営や信用金庫での経験を振り返りながら、人とのつながりや、次の担い手に伝えていることについて聞いた。
墨田との縁と、今も関われる幸せ
すみだ経済新聞──ご家族と墨田との関わりも教えてください。
澁谷さん:妻は向島育ちで、実家は向島百花園の近くでした。妻の伯父は白鬚神社の氏子総代を務めるなど、地域の活動にも深く関わっていました。
妻の実家からは、地域の方々との付き合い方など、墨田で生きていく上で大切なことを教えてもらいました。
私は横浜出身で、今も横浜に住んでいます。ただ、これだけ長く墨田に通っていると、私が江戸っ子で、横浜で暮らす妻が浜っ子。逆になっちゃいましたね(笑)。
墨田は本当に大好きです。その墨田で、文化振興財団の理事長やスポーツ協会の会長にと声をかけていただいて、今もいろいろな形で関わることができている。これ以上の幸せはありませんね。
文化施設の運営を、民間の視点で見直す

すみだ経済新聞──文化振興財団の運営を振り返って、いかがですか。
澁谷さん:私は民間から理事長になり、気付いたところをいろいろ改善してきました。特別なことではなく、民間では当たり前に考えることですね。
例えば、すみだ北斎美術館。海外から大勢のお客様が来ているのに、現金しか扱っていない時期がありました。現金を持っていない方は、一度コンビニに行って、お金を下ろしてから入場していました。
当時、私は株式会社しんきんカードの社長を務めていました。その縁もあって、キャッシュレスで支払えるようにしました。ホールなどに出店してもらう際の売上の一部をもらう仕組みや、施設のキャンセル料の扱いも見直しました。大きなホールを直前にキャンセルされても、その日程をすぐに埋めるのは難しいですよね。そうした点を随分変えました。
すみだ経済新聞──協賛企業への働きかけは、現在どのように進めていますか。
澁谷さん:最初は私が企業を回っていました。ただ、「理事長が全部回っていたら、理事長がいなくなった時に、皆さん引き上げてしまいますよ」という意見もありました。今は職員が自分たちで動いています。自分たちが活動して、それが成果になる。面白さも感じているようですし、職員の意識は随分変わったと思います。
物事を進める時も、まず顔を合わせる
すみだ経済新聞──運営の変更について、関係者にはどのように伝えていますか。
澁谷さん:黙って進めてはいけません。前もって顔を合わせて、「今こういう状況だから、こう変えていきたい」と説明する。まず会って、話をすることが大切ですね。理屈だけで進めようとしても、世の中はなかなか丸く収まりません。人とのつながりがあって、話を聞いてもらえることもあります。
すみだ経済新聞──東京スカイツリーや、すみだ北斎美術館ができる前の地域の様子を教えてください。

澁谷さん:スカイツリーができる前と後では、墨田は全く違います。ただ、できる前は心配の声もいろいろありました。人が大勢来たら、車はどうするのか。まちが駐車場のようになってしまわないか。周辺の商店街はどうなるのか、と。
美術館も、最初から順調に話が進んだわけではありません。つくるまでには、いろいろな苦労がありました。何かを始める前から、全員が賛成ということはなかなかありませんね。「これはどうするのか」という心配の声は、当然出てくると思います。
文化を支える、人と企業のつながり
すみだ経済新聞──「すみだ五彩の芸術祭」では、どのような役割を担っていますか。
澁谷さん:区長が実行委員長で、私は副実行委員長を務めています。私の役割は、ほとんど協賛企業の募集であります。下町の厚い人情で多くの皆様に協力をいただきました。
すみだ経済新聞──山本区長の地域での活動を、どのように見ていますか。
澁谷さん:山本区長は、とにかく地域のイベントによく顔を出しています。どのイベントに行っても区長がいる。それだけでもすごいことですよね。私が行く所には大抵いらっしゃいますが、それ以外にも、いろいろな所を回っている。あれは本当にすごいと思います。
やはり、人ですよ。特に墨田区は、人のつながりが大きいと思います。つながりがなければ、まとまる話もまとまらない。逆に、難しい話でも、日頃の関係があって「頼むよ」と声をかけることで、まとまることもあります。
後を継ぐ人たちに伝える、信用の重み
すみだ経済新聞──現在のひがしんの地域活動について、どのように見ていますか。
澁谷さん:ひがしんアリーナのネーミングライツをはじめ、信用金庫として地域への貢献を進めているのは、中田清史会長です。中田会長も長く地域のさまざまな活動に関わり、支えてきました。
すみだ経済新聞──後を継ぐ方々には、どのようなことを伝えていますか。
澁谷さん:人が来なくなったら、もう戻ってこない。一度離れてしまったらね。だから、人との関係を大切にしなさいと、事あるごとに伝えています。
お願いされるということは、頼りにされているということですから、それはありがたいことです。初めから、地域の皆さんが「ひがしん、ひがしん」と慕ってくださったわけではありません。信用をつくるには、時間がかかりますね。
信用金庫人生で、最もつらかった仕事
すみだ経済新聞──信用金庫での仕事を振り返って、印象に残っていることは何でしょうか。
澁谷さん:合併や事業譲渡に携わったことですね。信用金庫人生の中で、一番つらい仕事でした。合併と事業譲渡は、似ているようで違います。合併は、良いところも悪いところも含めて、すべて引き受けます。一方、事業譲渡では、どのお客様との取引を引き受けるか、どの職員を受け入れるか、線を引かなければなりません。
お客様のせいでも、職員のせいでもありません。それでも線を引かなければならない。そこは本当につらかったですね。心を鬼にするしかありませんでした。
すみだ経済新聞──当時は、どのような状況でしたか。
澁谷さん:大きな金融機関も経営が立ち行かなくなった時代です。大きな銀行も合併を重ねて、今では元がどこだったか分からなくなっていますね。
引き受ける側も大変でしたが、合併される側、事業を譲渡する側の方が大変だったと思います。その時々で、それぞれの分担がありました。仕事はみんなで分担して進めるものです。どこの部署がどうということではありません。
日々の暮らしと、仕事の喜び
すみだ経済新聞──日々の暮らしで、続けていることはありますか。
澁谷さん:毎日1万歩歩いています。朝は大体4時頃に起きて、散歩に出ます。家族はまだ寝ているので、帰ったら自分で朝食を用意します。タコやキュウリ、昆布などを黒酢に漬けて、1週間分ぐらいまとめて瓶に入れておくこともあります。
Facebookにも毎日投稿しています。あれは私の日記帳ですね。1年分ずつ本にしてくれる業者があって、冊子にして残しています。

すみだ経済新聞──これからの活動について、どのように考えていますか。
澁谷さん:自分が何をしたいというより、こういう仕事をさせてもらえることがありがたい。こんなに恵まれた人生でいいのかな、と思うほどです。
まちには、いろいろな人がいる。その一人一人の活動で、まちができあがっていますね。大好きな墨田で、今もこうして仕事をさせてもらえる。これ以上の幸せはありませんね。仕事は、幸せを感じられなかったら、いい仕事はできませんから。
澁谷哲一さん(前編)へ
澁谷哲一さん(後編)へ
(取材・構成:森下八尋/監修:宮脇恒)